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e-Athletes

ヘッドコーチ 鈴木 彰

​ ​    AKIRA Suzuki

 

 1962年神奈川県相模原市生まれ

 相模原市立上鶴間中入学と同時に陸上部に入部。400~1500mの選手として適当に活躍。

 3年時には県中学選手権・県通信陸上でともに800mで2位となり、全国大会・関東大会に出場(いずれも超軽く予選落ち)

 この年は県で2位、市で2位、校内マラソン大会でも2位(全部違う相手に負けた…)となり、詰めの甘さを露呈する。

 新進の陸上強豪校である神奈川県立上溝南高校に騙されるようにして進学。

 駅伝対応のため5000mに転向するが、今でも1500m中心に頑張れば良かったと思っている。国体予選3位と関東高校駅伝に3年連続で出場した以外、たいした実績なし。この後、大学受験に失敗というか練習し過ぎて事実上の放棄状態で浪人生活に入り、ここで競技生活も終わるかに思えた。

 東京学芸大学教育学部初等課程国語教育学科入学後、演劇部と陸上部、どちらに入るか迷ったがスポーツテストの1500mでちょっと気を良くして陸上部に入部。保体科の同期とは別のドラフト外入部と言われる。

 1年時にたまたま箱根駅伝60回記念大会があり、運と努力と奇跡に恵まれ実に同大学23年振りの出場権を得る(以後、現在に至るまで予選会突破なし…)。

 ただし、予選会で180%の力を使い果たしたためボロボロで、本番(1区)は調子を合わせることが出来ず、生涯最悪のレース内容に終わる。まあ、仕方ない。

  

 2年時の3月に初マラソンとして「びわ湖毎日マラソン」に出場。入学時から演劇部に入らなければ在学中にマラソンを走ろうと思っていた。2時間26分00秒で奇しくも瀬古利彦さんの初マラソンと同タイム。(その後の成長は天と地ほど違う…)

 4年時には関東インカレ2部20kmで6位、10000mで7位。競技人生を通じてちょっとだけ自慢できる唯一の実績となる。(この程度の選手です…)

 卒業後、光カメラ販売㈱に入社、同社陸上部に入部。

 バブル期の不動産投資で大きくなった典型的な会社でとても人には言えない経験もたくさんする…。

 3年目に東日本実業団対抗陸上で人海戦術で男女総合優勝。チームの主将として精神的支柱としてのみ貢献…。

 この年の秋、縁あって突然、群馬県の関東学園大学陸上部監督に就任。現役を事実上退くこととなる。まさに青天の霹靂…。とはいえ、テキトウに自身の練習も続けていた。

 ここでの指導実績的には、箱根駅伝予選会最高順位13位が2回。日本インカレ・関東インカレ(2部)でちまちま優勝者・入賞者を出す。群馬リレーカーニバル4×800mリレーで大会新記録・県新記録を樹立。

 ​

 1999年3月に同大学を退任し、その後「e-Athletes」を設立。同ヘッドコーチ。

 プロフェッショナル・ランニングコーチとして現在に至る。

 日本陸連普及委員、ランニング学会理事を歴任。

​ 近年は中高年ランナー指導の第一人者として小活躍。

 ★競技実績 

  マラソンベストタイム 2時間20分43秒(びわ湖毎日)

  およそ30年間でサブスリーを60回以上達成。

  現在も60歳超サブスリー達成に挑戦中!…なのか?

 ★指導実績 

  ・全国大会優勝者3名を輩出!

    日本学生個人選手権男子3000m障害

    国体女子2部ハーフマラソン

    全日本実業団男子ハンマー投げ(さすがに直接指導はしていない…)

  ・あまり知られていないが800mの指導が得意・好き。

  ・東日本縦断駅伝(青東駅伝)群馬県チームの監督・コーチ。

  ・数々のローカル駅伝で優勝監督となる。 ​

  ・クラブツーリズムのホノルルマラソンツアーコーチ。

  ・各種講習会等のお呼ばれ講師多数。  

  ・​「ランナーズ」「ランニングマガジンクリール」等に記事掲載多数。

 ★資格

  ・日本スポーツ協会公認コーチ3(陸上競技)

   (3は4段階のうち上から2番め)

​  ・初級システムアドミニストレータ

​  ・小学校、中学・高校(国語)の教員免許

​ ★著書

  ・21世紀のマラソントレーニング(ランナーズ社;共著)

  ・eA式マラソン走力アップトレーニング(ナツメ社)

  ・eA式マラソン<新常識>トレーニング(ナツメ社)

  ・「サブ4」達成のためのマラソントレーニング(ナツメ社;共著)

  ・ムネオマラソン(講談社;監修)

  他

 

 

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